バスの便を知っておくにあたり大切なのは、ハブとなるターミナルをおさえること。

 公共交通機関の便について調べたり事情をつかんだりするにあたって、バスは鉄道と比較してその実状を容易には理解しづらいものです。
目に見えるかたちでその路線網(ルート)が、地図をひらいたときにのっているわけではないからです。

(バスとおなじで空路(飛行機)や航路(船)も、"網"を把握しづらい交通手段ですね。前者については城東4区内にほぼ関係はありませんから、このブログで言及することはないでしょう。後者については、公共交通機関としての重要度は低いものですから、機会があればあらためて取りあげたいと思っています。)

 そこで今回から数回にわたり城東エリアの各区のバスの便について、その全体像を大まかに紹介します。
まず最初は、墨田区内のバスの便についてです。

 バスの路線網を把握するにあたり重要なのは、起点や終点が集合している停留所、つまりターミナルがどこにあるかをおさえておくことです。
墨田区内で路線バスのハブとなっているターミナルは、錦糸町駅です。
そしてここから、墨田区内や区外のどこへ行くことができるかがわかればよいのですが、その詳細については次回に持ちこすことにします。

城東4区の南東にある江戸川区・その2。政令指定都市に準じた約69万人という人口を擁する。

 江戸川区の人口について見てみます。
人口は、2017年5月時点の推計で、約69万人。2015年の国勢調査における法定人口は約68万1千人なのですが、江戸川区の人口は増加する傾向で推移していますので、人口はおよそ69万人、と考えることができると思います。
県庁所在地だと、静岡県静岡市が約70万人と江戸川区より若干多い人口です。
同じ東京都内の他の自治体との比較ですと、特別区どうしになりますが約72万人の大田区より少なく、約67万人の足立区より多い人口です。

 さて、江東区(や墨田区)の紹介のさい、両区とも中核市の要件を満たしてはいる、と記しました。
当然ながら江戸川区も満たしているのことになるのですが江戸川区の場合は、法定人口が50万人以上であること、とされている、いわゆる政令指定都市の要件をも一応は満たしていることになります。
実際のところは、そもそも特別区は市ではないという事情を考慮しなかったとしても、法定人口が50万人以上のすべての都市が指定されているわけではありません。
しかし江戸川区の人口は、現に政令指定都市となっている静岡市にほぼ比肩しているのですから、実際の政令指定都市に準じた人口を擁している特別区、ということが江戸川区についてはいえると思います。

城東4区の南東にある江戸川区・その1。かつて鉄道のアクセスは良好ではなかった。

 城東エリアの4区のなかで最後の紹介になりましたが、江戸川区について見てみましょう。

 江戸川区はまず、面積が大きい。50平方キロメートル弱と城東4区のなかでは最大の広さです。これは、14平方キロメートル弱である墨田区の3.5倍を超えます。

 そして、広いだけあって人口も多く、約68万人から69万人です。
(人口については次回、あらためて取りあげます。)

 江戸川区の西側の区界は、荒川と旧中川。東側は江戸川、南は旧江戸川です。
複雑にいり組んでいるのは、河川ではなく陸続きで接している、北側の葛飾区との境界だけです。
これを換言しますと、葛飾区との境界以外はすべて、河川によって隔てられていると表現することもできます。
陸続きでないということは、橋が架かっていたりトンネルが掘られていたりする場所でなければ隣接する対岸へアクセスすることができないことを意味します。

 この不便さに加え、現在は改善されてはいますが鉄道の開通も早いものではありませんでした。
高度経済成長期も終盤に差しかかった、1960年代の終わりころに営団地下鉄――現在の東京地下鉄東京メトロ)――が通るようになるまでは、区内の鉄道は北の端のほうを、京成線と(当時は国鉄の、現在はJRの)総武線が走っているのみでした。
その後、1980年代になって都営地下鉄が区内を西から東へ段階的に開通するようになり、都心へのアクセスが向上します。
千葉県側(の本八幡駅)へも延伸したのは、元号が昭和から平成になった、1989年。
区の最南端にはJRの京葉線が走っていますが、これが東京駅まで延びるのはその翌年・1990年です。

城東4区の北東にある葛飾区・その2。人口は44万人強。鉄道の利便性については分がよくない。

 最初に、葛飾区の地理的な概要です。
面積は35平方キロメートル弱。城東4区のなかでは最も広い江戸川区の、約7割ほどの面積です。

 東側の区界となっている江戸川や、西側の境界を形成しており区内を貫通もしている中川、その支流の大場川、などが、隣接する区や市を分けへだてています。
他方で、足立区との境界と江戸川区との境界については複雑で、不規則にいり組んだ形をしています。

 葛飾区の人口は、2017年5月時点の推計で、約44万9千人。2015年の国勢調査における法定人口が約44万3千人ですので、人口は44万人強、と考えていいと思います。
ほぼ同数の県庁所在地を探してみますと、石川県の金沢市が約46万6千人で葛飾区よりも若干多く、長崎県長崎市が約42万人で葛飾区よりもやや少ない人口です。
同じ東京都内での比較ですと、約43万人の町田市よりもやや多い、といった状況です。
他の関東地方の6県内でほぼ同数の自治体は見あたりません。

 葛飾区が城東エリア内のほかの区と異なる事情を挙げるとするならば、鉄道の利便性について他の3区よりも若干ながら分がよくない環境にあることでしょうか。
区内の駅を通る電車は、京成線と北総線、JRの常磐線と総武線です。地下鉄は走っていません。
直通運転先(京成線と北総線が都営浅草線に、JRの常磐線が千代田線に、それぞれ乗り入れています。)はともかく、23区内で地下鉄がないのは世田谷区と、葛飾区の2区だけです。

城東4区の北東にある葛飾区・その1。広範囲を総称する地名・"葛飾"を区の名に採用した区。

 城東4区のうち、江東区墨田区については詳しく見てみました。
今回の紹介は、葛飾区についてです。

 葛飾区は長期にわたって親しまれてきた映画や漫画(マンガ)などの作品の舞台となっているので、一般的に有名な区ではあると思います。
ですが葛飾という固有名詞そのものは、葛飾区の周辺にほぼ限定して使用されている呼び名というわけではないのです。
東京の城東エリアや、千葉県の北西部のうち現在は市川市松戸市浦安市などが該当する地域、埼玉県の東部の三郷市幸手市などの地域、その他をひっくるめた広い方面で、"葛飾"という名称が使われていました。
現在でも埼玉県には北葛飾郡という群が存在しますが当然、この北葛飾郡に過去に属していたり現在も属していたりする地域も、"葛飾"の一部です。
そして1932年に区が発足するさい、区の名前にこの"葛飾"という広範囲を総称する地名を採用したのです。
葛飾区のあたりだけのことを"葛飾"というのではないことは、誤解のないよう念頭に入れておいたほうがいいと思います。

 城東エリアの、荒川よりも東側に位置する区ですから江東区墨田区よりも都心からは遠いロケーションです。
しかしそれでも、東京駅を中心に半径20km(キロメートル)の円に区内全域がすっぽり収まります。

城東4区の北西にある墨田区・その2。国内の自治体で10位以内の人口密度。

 墨田区のデータのうち、人口についてです。

 人口は、2017年5月時点の推計で、約26万2千人。2015年の国勢調査における法定人口が約25万6千人ですから、人口はおよそ26万人、と考えていいでしょう。
県庁所在地だと福井県福井市や、山形県山形市とほぼつり合う数です。同じ関東地方ですと、約27万人の茨城県水戸市よりもやや少ない、といった程度ですね。
同じ東京都内で比較しますと、約28万人の目黒区よりも若干少なく、約26万人の府中市とほぼ同数、約25万人の港区よりやや多い、といったところです。

 前々回、中核市に指定される要件は法定人口が20万人以上であること、と紹介しましたが、墨田区もこの、法定人口20万人超の要件は満たしていることになります。

 墨田区について注目すべきは、人口そのものよりも人口密度です。いつの時点の人口で計算するかによって順位は変動しますが、豊島区や中野区、追って荒川区、目黒区が続き、墨田区特別区のなかで5位だったり、台東区や文京区に次いで6位や7位だったり、といずれにしても10位以内に入る人口密度です。
これは23区内の順位であると同時に、日本の地方公共団体ごとの人口密度の順位が10位以内、ということでもあります。
城東エリアの他の3区は、特別区内の人口密度の順位では江東区、葛飾区、江戸川区のいずれもが下から数えたほうが早い位置に連なっています。それだけ、この3区の面積が大きく墨田区が小さい、というわけです。

城東4区の北西にある墨田区・その1。新たな観光名所に恵まれている区。

 城東4区のうち、前回とその前の回では、江東区について見てみました。
今回は、墨田区について詳しく取りあげます。

 4区のなかでは北西に位置していますので、江東区よりは東京駅から遠い位置にあります。しかし、1960年代の高度経済成長期に池袋、新宿、渋谷などが新たな都心としての地位を確立するより以前の、浅草が東京のなかにおいて相対的な求心力が高かった時代には、浅草や上野に近いことによる地の利もそれなりにあったと思われます。

 区内にある名所として、両国国技館東京スカイツリーが挙げられます。
後者は、港区にある東京タワーにかわる電波塔として、つい数年前にできたばかりですから言わずもがなですね。
しかしながら前者の両国国技館も、以前は隅田川をはさんで東に位置する、蔵前(台東区)にあった蔵前国技館が1980年代のはじめに移転してできたものです。
新たにできる観光名所に、なにかと恵まれた区であるといえます。

 墨田区の西側の区界は荒川と旧中川、東側は隅田川です。
南側の、江東区との境界が複雑にいり組んでいることは、前々回に紹介したとおりです。

 面積は、14平方キロメートル弱。城東4区のなかでは最も小さい面積です。南どなりの江東区(ほぼ40平方キロメートル)の3分の1強、最も大きい江戸川区(50平方キロメートル弱)の3分の1にも満ちません。
しかも両区のように海に接してはいませんから、区域がさらに拡大する可能性もないと考えていいでしょう。

 もっとも、23区のうちのおよそ半数にあたる11の区は、面積が20平方キロメートル未満です。また、それらのほとんどが東京の中心部にある区ですから、墨田区が特別に広い面積を有しない区というわけではありません。