城東4区の南西にある江東区・その2。人口は中核市の要件を充分に満たす。

 江東区のデータのうち、人口について見ていきます。

 人口は、2017年5月時点の推計で、約50万6千人。2015年の国勢調査における法定人口が約49万8千人ですから、おおよそ50万人の自治体、という認識でいいと思います。
県庁所在地だと愛媛県松山市や、同じ関東地方にある栃木県の宇都宮市とほぼ等しい人数です。
同じ東京都内ですと、約58万人で市部最多の八王子市よりは少ないものの、市部で2番めに多い約43万人の町田市よりは多いです。
他の特別区と比較しますと、約56万人の板橋区より少なく、約44万人で同じ城東エリアの葛飾区よりは多いものとなっています。

 ところで日本の市のなかには、中核市という、いわゆる政令指定都市ほどではないものの行政上の権限が他の一般的な市よりも大きいものがあります。
この、中核市として指定を受けるためには、法定人口が20万人以上であることが要件となっています。
市町村が普通地方公共団体であるのと対照的に、東京23区は特別地方公共団体ですし、そもそも"市"ではありません。
ですので東京の特別区中核市になることはありませんが、江東区はその要件を充分に満たしている地方自治体です。

 ちなみに、江東区はオフィス機能の求心力が大きいので、昼間の人口は住民票上の人口よりも多いはずです。
ベッドタウンとしての機能も、東京のビジネス街としての機能も、両方を兼ね備えたハイブリッドな街であるといえます。

城東4区の南西にある江東区・その1。昔も今も東京の臨海部の重要な役割を担う。

 城東4区のうちのひとつ、江東区について解説します。

 4区のなかでは都心に近い、南西に位置します。以前に説明しましたとおり、4区は荒川を境に都心に近い2区と千葉県ととなり合っている東側の2区とに分類できますので、都心に近い2区である江東区の西端は、荒川に接しています。

もう一方の東側の境界になっているのも、荒川と豊洲運河という水面です。

北側の、墨田区との境界は、複雑にいり組んでいます。地下鉄・都営新宿線森下駅菊川駅住吉駅の周辺をギザギザの形状で線引きされているほか、横十間川北十間川、旧中川という3本の河川が区界になっています。

 それよりも最も注目してほしいのは、南側です。南側は東京湾ですから、境界というより、まぁ海なのですが。
約半世紀前より東京湾のゴミの埋立て地となっている、夢の島
1990年代より開発が進む、テレビ局などのある台場(港区)や、船の科学館のある東八潮(品川区)などとともに、臨海副都心の一部分、というより大部分を形成する、青海地区や有明地区。
ここ最近ではウォーターフロントエリアの再開発でも、築地(中央区)の卸売市場にかわる新しい市場の地としても、注目の的となっている豊洲地区。
これらはすべて、江東区内にあるのです。

 東京湾に接する区は上で挙げた中央区や港区、品川区などのほかにもあります。
しかし江東区こそ、東京の臨海部において昔から現在まで、欠かすことのできない重要な役割をつねに担っている、といえると思います。

城東エリアの幹線道路。同心円状のものと放射状のものと。

 都市の交通網の形態にはいくつか種類があります。
直行型のもの、放射型のもの、両者を組みあわせたもの、日本では見られませんが迷路型のもの、などです。
 直行型とは碁盤の目のように交通が張りめぐらされた、グリッド式のものです。日本国内では京都とか札幌などの中心部が、これに相当します。
 形こそきれいな円状ではありませんが、東京は放射型に当てはまります。
そして放射型の都市の交通網は基本的に、同心円状のものと、中心から外に向かう放射状のものと、2種類が存在します。

 城東エリアについても幹線道路は基本的に、同心円状のものと放射状のものとに区別できます。

 同心円状のものは、

です。

 放射状のものは、北から南へ、

などです。

 このブログでは今後、これらを前提に話を進めていきます。

荒川の西か東かで大きな差がある城東4区

 前回のエントリで、墨田区江東区、葛飾区、江戸川区の4区全域を「城東エリア」と呼ぶことにする、と取り上げました。
で、このブログではその城東4区――とこのブログでは今後、表記することにします。――の住みやすい、と思っていただけるようなポイントや情報を紹介していこうと考えているわけなのですが。
4区を大まかに理解していただくうえでひとつ、頭に入れておいてほしいことがあります。

 それは、4区のうちの西側の2区(江東区および墨田区)と東側の2区(葛飾区および江戸川区)とで、わけて理解しておくとよい、というものです。

 この東西の2区のあいだには、荒川という大きな河川が流れています。
地下鉄の路線も含めてすべての鉄道が、地下ではなく地上に出て橋を架けられるスタイルで敷かれている(最新のつくばエクスプレスだけが唯一の例外です。)ほどの、幅の広い川です。
これを跨いで都心寄りの内側か、千葉県寄りの外側か、で無視できない相違があるのです。

 その、違いを説明する前に断りますが、あまり差がない点もあります。
たとえば、荒川の水位よりも低い地面(いわゆる、東京ゼロメートル地帯です。)が広がっているところは、東側であろうが西側であろうが同じです。
東京に路面電車が張りめぐらされていた時代――ちょうど半世紀ほど前のことです。――は、都電は荒川よりも西側しか走っていませんでした。それらが廃止され、現在は地下鉄が代替の役割を果たしていますが、地下鉄の便利さに荒川を越えるかどうかで違いはありません。ですから、昔と比較して差がなくなってきている傾向にある、ということもいえると思います。

 しかしそれでも、荒川よりも東側か西側かでれっきとした差はあるのです。
差はしばしば具体的に、客観的なデータとして明白に浮き彫りになります。
住みやすさという視点でなにか例を挙げるなら、住宅地の地価だったり、賃貸住宅の家賃相場だったりといった数値で、です。

 ちなみにですが、城東エリアの西端と東端もそれぞれ、隅田川、江戸川という川によって隔てられています。これらを越えるかどうかでもまた差があるのですが、それについては(城東エリア外のことにもなりますので)いつか、機会をあらためて触れることができれば、と考えています。

東京の城東エリアって、ドコのコト?!(後篇)

東京駅を基準にして東半分の地域、と東京の城東エリアのことについて前回のエントリで大まかに紹介しました。
では、具体的には東京駅の東側はすべて城東エリアという表現におさまるのかというと、それには疑問があります。
たとえば北区や品川区などはそれぞれ、東京23区内の北部や南部に分類されます。東部という表現よりもそのほうがふさわしいからです。
よって、東京駅の東、とはいうものの等分ではなく、360度の方位を四等分したうちの北東から南東までの90度分、ということに実際にはなります。ピザでいうとハーフ1枚ではなく、さらに半分にしたクォーターハーフ1枚分ですね。

では北東から南東にあたるのは、具体的にはどのあたりでしょうか。地図をひらくと、東京駅から北東に引いた線上に隅田川が流れており、浅草でその役割が水戸街道にかわります。
一方、南東に引いた線上には、地下鉄の有楽町線がほぼ重なります。
これらの川や道や線よりも東側にあたる場所は、城東エリアと表記してもいいでしょう。

行政の区でいうと、墨田区江東区、葛飾区、江戸川区です。
東京駅の東、という表現に厳密に当てはめれば、銀座や日本橋がある中央区も城東エリアということになります。が、この地を城東と記述することは、実際のところあまり見聞きしたことがありません。

このブログでは今後、「城東エリア」という言葉を上記の、墨田区江東区と葛飾区および江戸川区、この4区の全域を指すワードとして使っていきたいと思います。

東京の城東エリアって、ドコのコト?!(前篇)

日本に47ある都道府県のひとつ、東京都。一応、この国の首都ということになっています。

その東京都の、面積にして西側3分の2は、市部とか、多摩地区とか(、以前は東京都下などとも)呼ばれています。
それに対し、残る東側3分の1は、区部とか、東京23区内などと称します。

およそ600平方キロメートルの広さがある、東京23区。このうち、東京駅を基準にして東半分のエリアのことを大まかに、城東地区とか、城東エリアなどと表現したり、呼んたりすることがあります。

"城"というのは、かつての江戸城のことですね。いまは皇居があります。東京駅の西側にあたる、赤レンガの駅舎のある丸の内口と2キロも離れていない目と鼻の先に位置していますから、東京駅を基準にするとイメージしやすいというか、ほぼ「城東」という字面(じづら)どおりということができると思います。

ちなみに、城東という固有名詞そのものは、大阪市内のにある場所の地名としても使われています。
また、朝鮮半島にある現在のソウル――かつて日本が半島を統治していた時代である戦前は、京城(けいじょう、旧かな遣いで"けいじやう")といいました――の、東側にも「城東」と表記するところが、城東區(ソンドング)という名前の区として当時よりあります。
と、このように必ずしも東京に限定した固有名詞というわけではありません。

今後、このブログでは「城東」という言葉を、東京の「城東」のことを指すワードとして使っていくことにします。